Si Cantik Ratna Sari Dewi & Pengaruhnya
ke Soekarno Atas Proyek Jepang di Indonesia
オンラインメディア「Merdeka」が伝えています!
Rabu, 14 Oktober 2020 07:54
ラトナ・サリ・デウィ氏を知らない人はいないしょう。
スカルノ大統領の5番目の妻となった日本出身の女性です。ブン・カルノ(スカルノ大統領)を惚れさせ、結婚させたほどの絶世の美女として知られています。
美しいだけでなく、この日本人女性は、かつて日本企業がインドネシアで戦利品プロジェクトを獲得する際に大きな役割を果たしたと言われています。
周知のように、第二次世界大戦後、日本は植民地化した国々に賠償する義務を負いましたが、そのひとつがインドネシアでした。これは、戦勝国である米国が1951年に締結したサンフランシスコ協定に基づくものです。
残念ながら、この補償は当初、両国がそれぞれの補償額について主張していたため、円滑に進みませんでした。
サンフランシスコ協定(1951年)の後、6年間にわたる厳しいプロセスを経て、インドネシア政府と日本政府はようやく戦利品(戦争で、敵から奪い取った物品)に関する合意に達しました。
以下は、三宅良美氏の記事「日本のインドネシアへの戦争補償の政治的・文化的側面」から引用したラトナ・サリ・デウィ氏の影響力です。
<戦争戦利金基金>
三宅義実氏の記事「日本の対インドネシア戦争補償の政治的・文化的側面」の中で、日本の岸首相とスカルノ大統領が1957年11月、日本からインドネシアに2億2,308万米ドルの修繕資金と8,000万米ドルの援助を提供することに合意したと述べられています。
この資金は、資本財やサービスの形で12年間にわたって支払われました。協定に従って、日本はまた、11年間毎年インドネシアに2000万米ドルを支払いました。12年目に日本は残りの308万米ドルを支払いました。
<結婚>
1958年のスカルノ訪日の際、「東日貿易」と「木下産商」は美女を紹介してスカルノ氏に接近したようです。
木下産商は京都で金瀬咲子という美人モデルを紹介。
サリク・マエサロ:1958年から1959年までスカルノ大統領の妻だった日本人女性(Wikipedia)
一方、東日貿易は東京の根本尚子というナイトクラブのエンターテイナーを紹介しました。
最初の出会いの後、2人は帝国ホテルで2回以上会い、ブン・カルノ氏はジャカルタに戻りました。
実際、スカルノ氏はジャカルタから東京のインドネシア大使館を通じて彼女に「ラブレター」を送っていました。
その後2人は何度か手紙を交わしあい、8月18日付の手紙でスカルノ氏は根本氏をインドネシアに2週間の旅行に招待しました。
インドネシアへの招待を受けた根本氏は、9月14日に久保氏(東日貿易の創業者)を伴って東日貿易からとしてインドネシアに出発しました。
しかし、翌日ジャカルタに到着した根本氏は、同会社の久保氏が根本氏をインドネシアでの業務のために利用していると手紙に書きました。
久保氏は1966年にこの記述を否定しました。
しかし、根本氏とスカルノ氏がジャカルタで会うために家を提供したことは認めました。
久保氏はその後、スカルノ氏が女性、特に日本人女性に非常に弱いことに気づきました。
そして、スカルノ氏に接近する手段として女性を利用する戦略を練り始めた様です。
<東日貿易>
日本からの流入したこの資金は、汚職の根拠のひとつであることが判明しました。さらに、多くの企業がこれらのプロジェクトを獲得するために競争しました。
プロジェクトの契約は一般的に日本企業に渡ります。
木下産商はインドネシアで、日本の戦争賠償資金をもとにした数々の巨大プロジェクトを手に入れることに成功しました。
これらのプロジェクトは、ハイレベルなロビー活動によって獲得されました。
さらに、木下産商と当時の日本の首相との親密さも無視できないようです。
木下氏はラトナ・サリ・デウィ氏の仲介で「ウィスマ・ヌサンタラ・ビル・プロジェクト」(現Pullmanホテル隣)を手に入れることができた、と三宅氏は書いています。
木下氏だけでなく、東日貿易もこのようなプロジェクト獲得において、個人的な関係を持っています。
同社は1948年にインドネシアとのビジネス関係を開始しました。
そこには、東日貿易の創業者であるこの「久保まさお」氏がスカルノ氏と個人的に親密な関係にあった様です。
両者の関係は偶発的なものだったと言われています。
1958年にスカルノ氏が来日した際、反スカルノ派が、独立宣言をする人「スカルノ氏」を殺すために暗殺者を東京に送ったという噂が流れました。
当時、都警はスカルノ氏に何かあった場合の責任を取りたがらなかった様です。
彼らは、彼の訪問は公式訪問ではないと主張しました。
一方、右翼の指導者である児玉誉士夫とその地下組織、そして銀座警察は、スカルノ氏の警備に責任を持つことに同意しました。
児玉誉士夫自身、東日貿易の重鎮の一人でした。
久保氏は英語を話すことができたので、その任務を命じられました。
スカルノ大統領一行が東京に滞在していた時、スカルノ氏が宿泊していた帝国ホテルの近くのホテルにインドネシアからの反乱軍が密かに滞在していました。
児玉氏と久保氏のグループは、6人の反乱軍からスカルノ氏を守ることに成功しました。
久保氏はそれ以来、スカルノ氏と個人的に接触するようになりました。
<ラトナ・サリ・デウィ氏の影響力>
彼女がジャカルタを訪問した際、インドネシア初代大統領は「私のインスピレーションと力の源になってください。」と囁いたそうです。彼女はその時、憧れの人のカリスマ性に魅了されたことを認めました。そしてやっと結婚し、スカルノの5番目の妻となりました。
それ以来、根本尚子氏は「ラトナ・サリ・デウィ」というインドネシア名を持つようになりました。
当時、根本尚子氏はジャカルタの日本企業のビジネスの中心人物になっていたと多くの関係者は考えています。
三宅氏も、当時はデウィの許可なくインドネシアでビジネスを始めることはできなかったと述べています。
そのため、当時のビジネスマンは皆、ラトナ・サリ・デウィ氏のために建てられたウィスマ・ヤスー(ヤスオ・ハウス)に行かなければなりませんでした。
この行為は後に「女神への訪問」あるいは「デウィ・ムード」と呼ばれるようになりました。
それでも三宅氏によると、5番目の妻「ラトナ・デヴィ・スカルノ」氏と2番目の妻ハルティーニ氏の影響力で、かつて、日本の自動車会社2社が、スカルノ氏の承認を得ようと競い合っていたと言われています。
当時、ラトナ・サリ・デウィ氏は、スカルノ氏が久保氏と東日貿易からジープを購入する契約をまだ結んでいることを知りました。
ラトナ・サリ・デウィ氏は、スカルノ氏が久保との契約を解除すると言うデウィ氏の提案を聞き入れなかったために、1964年に東京で自殺未遂まで起こしました。
彼女は、1962年に当時日本医師会会長で鹿島建設社長だった武見太郎とジャカルタに病院を建設する計画について話し合ったこともありました。
1963年9月、デウィ夫人はインドネシアを公式訪問中の池田勇人首相夫妻に、スカルノ大統領からプライベートな会合で紹介されました。
それだけでなく、元駐インドネシア米国大使、マーシャル・グリーン氏によれば、当時の斉藤鎮男駐インドネシア日本大使は、デウィ氏のおかげで宮殿に特別に出入りできたと言います。
しかし、様々な場面でラトナ・サリ・デウィ氏は日本企業からのコミッションの受け取りを否定しています。
<簡単解説&コメント>
デウィ夫人は、ご承知の通り日本でも、さまざまな場所で自分の立場を考え、人たちの役に立つような日々をお過ごしになっているようですね。
どうしてこのような、頭の切れる、世界を見れる人が、ナイトクラブで働いておられたのか?不思議でしょうがありません。
*読者の方からご連絡がありました!木下商会ではなく、木下産商の間違いですという、ご指摘をいただきました。さらに、その方のご家族が関係者がいらっしゃる方でした。訂正して、お詫び申し上げます。(7月17日月曜日)
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